最近、少しご縁があって
中岡慎太郎の生家にお邪魔させて頂き、お墓にも手を合わせて来ました。
お墓には、中岡慎太郎の遺髪も埋葬されてるそうです。

↑実際にお白洲(おしらす)が、行われていた場所。
お白洲(おしらす)は、江戸時代の奉行所など訴訟機関における法廷が置かれた場所。
by,Wikipedia
何故か気になって仕方なく、中岡慎太郎のホロスコープを出して見ました。
1838年4月13日生まれだそう。

これが、中岡慎太郎の出生図です。
蠍座で月と土星が重なっており、しつけが厳しいお家柄だった事が伺えますが、中岡慎太郎は村の大庄屋の長男として生まれています。
そして、その月と土星はシングルトンなので、お家柄には染まれ無かった事を表しております。
だから、名前を変えて生き方をも変えて、お家を継がず、子孫も残せず、坂本龍馬と共に海援隊の対である陸援隊を成し遂げたのが伺えます。
牡羊座で太陽と冥王星が重なっていますので、強いカリスマ性があった事
木星天王星がオポジションなので、新しい事を始めて拡げて行く事を成し遂げる為に、自身の知識やコミュニケーション力を生かして行く事が照らされています。
真面目で温厚な性格、そして人徳があり博識の持ち主で、例えばケンカの仲裁や揉め事の解決力がある理論型です。
改革を起こす事に人生の課題があり、目には見えない所で考え悩み抜いた痕跡が伺えます。
そして、中岡慎太郎には、自身が前に出るよりも、アシスタントなどの人を助ける役割があり、他の人を支えることが大きなスキルであられたようですね。
強いリーダーシップがありながらも、依存心を克服し、自分自身の魅力を知りながら自分自身を愛する事や、他人の感情に振り回されないという事が人生のテーマにあられた方です。
29歳と7ヶ月で亡くなった中岡慎太郎。
近江屋で、坂本龍馬と共に刺客の襲撃に合い、その2日後に
『刀を持っていなかった事こそが不覚の致す所』
という遺言を残しているそうです。
どんな場面でも、相手や周りの環境にせず、自身の反省や、自分に原因があると考えれるその人間性が
強いカリスマ性の持ち主だった事が伺える、中岡慎太郎らしい言葉なのだと思います。
お顔も凛々しいお方ですが、内面もとても男らしく、奥さんはいったいどんな方なんだろうと思いますが、
奥さん兼(かね)は、中岡慎太郎と15歳で結婚したものの
その4年後には、中岡慎太郎は武市半平太の元で志士活動を本格化しており
お国の為に尽力を尽くす中岡慎太郎が土佐藩を脱藩して長州藩へ渡ってからは、2人は一度も会える事は無かったといいます。
兼(かね)の情報は無いので、ホロスコープは読めないけど、でも中岡慎太郎のホロスコープから見た妻像は、孤独という試練があり、寂しかったはずなのに、ただ1人を強く熱く愛し抜いた姿が読み取れます。
妻の兼(かね)は、56歳で亡くなったようですが亡くなるまで、中岡兼、だったそうです。
幕末の志士達が、自分の生命を賭けて日本を良くしてくれた事
カッコいい生き様には内助の功の、その妻達もカッコいい生き方があるのだと心に刺さりました。
ホントにカッコいい♡
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